投稿日:2016-06-09 Thu
・東海道線にはまだSLが走っており、駅には顔を洗う水場があった。・体育の時は裸足で、学校には足洗い場という浅い水槽があった。
・西新井大師の火事を見た。昭和41年の出来事だ。
・牛乳のパックが三角形をしていた。「テトラパック」という。
・電話ボックスで酔っ払いが立ち小便をしていた。
・都心でも都電や「トロリーバス」が走っていた。
・ため池でオタマジャクシ、ザリガニがとり放題だった。
・セイタカアワダチソウを竿にしてザリガニをつった。エサはよっちゃんイカ。
・犬は放し飼いだった。
・東京12チャンネル(現テレビ東京)は、朝9時頃にならないとはじまらなかった。
・ロール式のトイレットペーパはなく、重ねてあるチリ紙だった。
・駄菓子屋にはもんじゃ焼きのテーブルがあった。
・築地の勝鬨橋が跳ね橋で、橋が上がる時の信号待ちをした。
・国道15号を荷馬車が通っていた。その後には湯気の出る馬糞が落ちていた。
・ヘリコプターが低空から民家をDDTを撒いた。その日は洗濯物を干せないのだ。
・馬のひづめをつける場所があった。焼いた蹄鉄をつけるので、ものすごい臭いがした。
・「ロバのパン屋」。ロバが屋台を引っ張っていた。
・50円玉が小さくなり、これを偽金だと言って受け付けないタバコ屋の
ばあさんがいた。
・40年代末の「袋のインスタントラーメン」は、37円だった
(ハウス食品のタマゴメン)
・病気の時のご馳走は、パイン缶だった。パインのアイスも美味しかった。
・卵は「もみ殻」にくるまれて売っていた。あの頃の卵は堅かった。
・ゆで卵は遠足か、運動会のときしか、食べられなかった。
・香りやかわいいイラストのティッシュ集めて花を作って遊んだ。
・修学旅行の準備として、「洋式便所の使い方」を教わった。
・小学校で肝油ドロップを配っていた。

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