投稿日:2016-06-08 Wed
・防弾ガラスのカケラを「匂いガラス」と称してガキ相手に商売しているテキヤがいた。・針金細工のバイク、三輪車、風車などを路上で売っていた。30円だったと思う。
・水玉模様の手ぬぐいをベルトに挟んでぶら下げている高校生がいた。
・その学生の帽子は油を塗ってコテコテだった。
・お餅は年末にお米屋さんに頼んで配達してもらった。
・駅には有料の手荷物預かりや両替屋があった。
・てんぷらや魚を買うと古新聞に包んでくれた。
・テレビドラマの最中に画面の下半分にテロップ広告が出てきてうるさかった。
・バスがバックする時は車掌が笛を吹いて合図していた。
・お好み焼やタコ焼きにマヨネーズをかける習慣はなかった。
・ヤクルトは宅配のみでお店では買えなかった。
・ビデオデッキはリモコンが別売りだった。
・飛行機に乗って外国旅行へ出かける人を、万歳をして見送った。
・庭の物置には、樽に白菜が漬けてあった。
・羽毛のダウンなんてものがなかったので、冬はやたらと厚着だった。
・木製の氷冷蔵庫があった。氷屋さんが運んできて氷を上の段に入れて使う。
・シラミ駆除のため頭にDDTを散布された。
・暖房器具は火鉢で練炭の火をおこすのが朝一番の仕事だった。
・昼間は玄関もお勝手も開けっ放しだった。
・銭湯が17円、10円でたこ焼きが3つ買えた。
・小学生が新聞配達してた。
・遠足のおやつの定番はクッピーラムネ・都こんぶだ。 チクロ入りの
お菓子もよく食べた。
・自転車用のスピードメーターが欲しかった。セミドロップハンドルは羨望だった。
・銭湯にはゴム動力の船のプラモを持って行き遊んだ。
・平凡パンチは地元で買うのが恥ずかしいから隣の町まで行った。
・東京ドームの辺りは競輪場があり、公営ギャンブルが廃止された後はプールになった。
・電卓の電源はコンセントで表示される桁数は6桁だった。
・ナイロンの風呂敷は高級なお出かけ用だった。
・板垣退助、岩倉具視、伊藤博文、聖徳太子の顔を子供でもよく知っていた。

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