投稿日:2023-05-27 Sat
友人の知り合いのロックバンド「レイルロード」のライブに行った。結成28年というからそこそこ人気があるらしい。
とは言え、ネットで検索するとほとんどが「グランド・
ファンク・レイルロード」が表示される(笑)
ボーカルのたっちゃんは、還暦が近いらしいが、声量があり
歌もうまい。顔は水沢アキに似ている。
ハードロックということでシャウト系が中心だが、
スローテンポの曲もまたいい。
今回リリースされた「Timeless」というバラードは
俺的には一番好きだ。

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投稿日:2023-05-20 Sat
夜な夜な、残業をしている夢をみた。もうすぐ始まる朝いちの会議に資料を作成しなくてはならないのだが、
一向にはかどらないでイライラしている自分の夢。
入社した頃は、長時間勤務が当たり前でむしろ美徳と
みなされていた昭和時代。毎日、22時頃まで全員で残業
していた。当時の上司が言うには、「定時に帰宅してもどうせ
ビールでも飲みながらTVをみているんだろ。だったら
先輩と一緒に働いて仕事を覚えた方が得だと思わんか」
こんな調子で残業は当たり前、転職した会社でも同様だった。
ぶっちゃけ、残業手当もたくさんもらった。
いつものにか役職が高くなり、給料は年俸制で、残業手当
がなくなった。残業手当はなくなったが、仕事があれば、
翌日に持ち越したくなかったので、残業は自らしていたと思う。
50歳くらいになって、体力的に残業がしんどくなってきた。
いくら残業をしても定時に切り上げても給料は変わらないので
この頃から残業時間が減り、50歳半ばには残業というものには
縁がなくなった。
新人時代の上司の言う通り、定時に帰宅し、ビールを飲みながら
TVをみていたもんだ。
それにしても、あの頃 毎日22時まで、何の仕事をして
いたんだろうか。残業してまでやるほどの内容だったとは
思えないなぁ~

投稿日:2023-05-17 Wed
我が家の愛犬「ライム」、実に健気で可愛い。個人事業主になってから、自宅で仕事をしているので
一緒にいることがほとんとだ。
2/19の当ブログには、朝は決まって7:35にお越しに
くると書いたが、最近は5:55になっている。
そんなこともあり、飼い主は毎日の昼寝は欠かせないし、
夜10時半には床につくようになった。
朝、起きて少し遊んであげて餌をあげるとライムはまた
寝てしまう。「けっ、寝るんだったら起こすなよ」と
いつも思うが仕方ない。
最近は朝6時半から8時半まで、仕事をしている。
これが意外と集中できて、作業がとても捗っている。
「早起きは三文の徳」というやつかね、、、ライム♪

投稿日:2023-05-15 Mon
「サラリーマン川柳コンクール」から「サラっと一句!わたしの川柳コンクール」に名前を変えた「サラ川」。
今年も笑わせていただきました。

投稿日:2023-05-14 Sun
『ランキングー!』という「ちょっと気になる」を調べたランキングサイトがなかなか興味深い。
その中で、<実は「東京都中央区」出身と聞いて驚く有名人ランキング>
というのがあったので、紹介したい。
第10位:林家木久扇(387票)
第9位:土佐卓也・土佐有輝(土佐兄弟)(464票)
第8位:松木安太郎(485票)
第7位:柄本明(539票)
第6位:ちばてつや(漫画家)(582票)
第5位:おたけ(ジャングルポケット)(590票)
第4位:なぎら健壱(631票)
第3位:岩下志麻(651票)
第2位:泉ピン子(1,128票)
第1位:若林正恭(オードリー)(1,258票)
1位は漫才コンビ"オードリー"の若林正恭
入船の出身で銀座のデパートが遊び場だったとのこと。
2位は泉ピン子さん
『おしん』のイメージが強いせいか、雪国の出身かと勘違い
しそうだが、銀座の生まれ。
3位は岩下志麻さん
関西弁を話す役も多く、西日本出身と思っていたが、
銀座の生まれ
4位はなぎら健壱さん
下町でビール片手にギターを弾いているイメージだが
銀座の生まれで父親は宝石箱をつくる職人とのこと

投稿日:2023-05-13 Sat
レトロな建物を求めて、JR神田駅から人形町を経由して、馬喰町駅まで歩いてみた。約5キロ、のんびりと写真を撮り
ながら2時間半くらいのコース。

①山梨中央銀行(東京支店) 竣工: 1929年(昭和4)
我が国9番目の国立銀行「第十国立銀行」が前身。
当初はファサード(正面)にイオニア式オーダーの列柱などが見られたと
のことだが、戦災などをくぐりぬけ現在の簡素なデザインとなる。
昭和初期の銀行建築の典型的なスタイル。

②丸石ビルディング 竣工: 1931年(昭和6年)
ロマネスク様式が特徴的。平成14年3月、国の登録文化財に登録。
姉妹会社の丸石商会(後の丸石自転車)と太洋自動車(ゼネラル・モーターズ
の販売代理店)のショールームがあった。レコード会社日本ビクターの
録音スタジオが置かれていたこともある。
獅子像の口から雨水を川に向かって吐き出していたこともある。
現在は、1階がペルシャ絨毯専門の会社のショールームになっている。

③常盤小学校 竣工: 1929年(昭和4年)
江戸城の正門である常盤橋御門にちなんでこの名前がつけられた。
関東大震災の被害を受けて、その後に鉄筋コンクリートづくりの校舎で再建。
東京都選定歴史的建造物、経済産業省近代化産業遺産に指定されている。
敷地内には、第二次世界大戦時の防空壕が残っていて、現在は防災訓練などに
使用されている。卒業生にイラストレーターの水森亜土さんがいる。

④近三ビルディング 竣工: 1931年(昭和6年)
村野藤吾が渡辺節建築事務所から独立して最初に設計した建物。
黒褐色のタイルで仕上げられた外壁と、整然と配置された縦長の
ガラス窓が外観の特徴。1999年に東京都選定歴史的建造物

⑤ハリオグラスビル 竣工: 1932年(昭和7年)
旧川崎財閥系の「川崎貯蓄銀行富沢町支店」の建物をそのまま使用。
国登録有形文化財 コリント式のオーダー(柱)が特徴。
設計は、明治建築界の三大巨匠の一人・妻木頼黄に師事した矢部又吉

⑥よし梅 芳町亭 1927年(昭和2年)
2002年(平成14年)、国の登録有形文化財(建造物)に登録された
間口5間(約9メートル)・奥行4間半(約8メートル)ほどある木造瓦ぶきの2階建て。
建物の名称は、昭和2年に日本料理(江戸料理)店を創業した初代(高野うめ)が
自身の名と住んでいた当時の町名から「よし梅」を店名とし、二代目が当該建物を
取得・改修して現在に至っている。

⑦玉置文治郎ビル 竣工: 昭和4年(1929年)
鉄筋コンクリート造地上4階地下1階建の薬品問屋店舗兼住宅。
震災復興商業ビルのひとつで、筋面タイルやテラコッタを用い、幾何学形を
装飾に取り込んだ外観は、昭和初期における建築意匠の特徴。
設計は辰野金吾のもとで学んだ森山松之助。

投稿日:2023-05-05 Fri
ゴールデンウィーク、出かけることもなく近所を散歩してたら、鯉のぼりを見つけた。
そういえば、このところ都内ともとより地方に行っても
鯉のぼりを見かけなくなったように思う。
小さな鯉のぼりだけど、なんとなくノスタルジーを感じ
しばらく見入ってしまった。

投稿日:2023-05-03 Wed
ゴールデンウィーク、例年通り 大掃除と家庭菜園に勤しんでいる。大掃除は性格的に手が抜けないので必要以上に時間がかかってしまう。
家庭菜園も同様、もう少し手抜きで良いと思いつつ、手間暇を
かけてしまっている。
この性格は俺の人生にとって、良くも悪くもある。
そろそろ前期高齢者になる自分には、邪魔な性分かも知れない。
もう少しに気楽に適当に生きなさいと神様が言っている。

投稿日:2023-05-01 Mon
栃木県日光の「鳴虫山(1103m)」新緑と山ツツジを堪能しつつ、のんびりと歩いて5時間半の
周回コース。
下山したところに「憾満ヶ淵」という渓流がある。
男体山から噴出した溶岩によってできた奇勝と大谷川の清流
が織りなす自然美がとても清々しい。
観光客の約8割がインバウンドの人たち。
紅葉の時に、また来たいと思えたスポットだ。


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