投稿日:2016-10-31 Mon
今年もまた ハッピーハロウィン♪世の中、年々 盛り上がってきている。

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投稿日:2016-10-29 Sat
両神山、三峰山、武甲山をあわせて「秩父三山」と呼ぶそうだが、今日は紅葉を求めて両神山(りょうかみさん)を登る。
埼玉県秩父郡小鹿野町にあり、標高は1,723m。日本百名山のひとつだ。
山名はイザナギ、イザナミの神を祀っていることから両神と呼ぶらしい。
我が家から車で約2時間半の距離。
この山は初心者向け、中級者向け、上級者向けのコースがあるのだが、
自分の技量は初心者コースだ。といっても往復4時間半、そこそこの
急登やつづら折りが続きあなどれない。
途中に滝や沢があったり、苔むした橋などいい感じ。
山頂で食べたとん汁がめっちゃ美味かった。
紅葉は期待していたほど、鮮やかなものではなく自然が相手なので
ドンピシャというわけにはいかない。来週あたりがピークかな。
下山後、帰りに立ち寄った「丸神の滝」は埼玉県内で唯一「日本の滝
百選」に選定されており、落差76mは見事だ。ここももう少し
紅葉していたら、もっと良かったな。残念。

投稿日:2016-10-27 Thu
すべて経験あり。わろうたのでシェア。
投稿日:2016-10-25 Tue

投稿日:2016-10-22 Sat
登山家の田部井淳子さんが亡くなった。残念でならない。ちょうど先日、田部井さんお薦めの初心者コースを歩いてきたばかりだ。
あの人懐っこい笑顔が好きだった。
彼女は東日本大震災の被災地の高校生を連れて、富士山に登る活動を続け
てきた。今年7月、病を押して登り7合目から頂上に向かう高校生たちを励まし、
見送った表情がとても素敵で印象的だった。
田部井さんは女性で世界初のエベレスト登頂者として偉大であるだけで
なく、中高年に安全な健康登山を推進するなどして広範な社会活動を
行ってきた方で俺も登山愛好家の一人として敬愛してきた。
心よりご冥福をお祈りします(合掌)
そして、田部井さんの息子、進也さんのFacebookの投稿に涙した。
シェアさせていただきます。
母が歩き続けることを止めました。
今まで世界中、色んなところを歩き続けた。
癌と戦い続けてきたので、ある程度覚悟は出来てましたが、こんなにも早く別れが来るとは思ってませんでした。
数日前から体調が悪くなり、起き上がることもままならなくなり、父と姉と交互に付き添いながら面倒を見てきました。
この数日間は本当に本当に大事な時間を過ごせました。
末っ子で迷惑ばかりかけ、生まれた時から母が「田部井淳子」だったので、なかなか甘える時間がありませんでした。
この数日は最高に甘えることができました。
母の歯磨きを手伝ったり、体を拭いてあげたりと凄く幸せな時間でした。母を独占できました。
旅立つ数日前、病室で2人きりになったとき、今まで思ってても言えなかったことをたくさん話しました。
その中で「かーさん、大好きだよ」と。
すると「お母さんも大好き。山よりも好き」と言ってくれました。
これが、母とまともに会話した最後でした。
今まで、散々苦労と心配をかけました。
親孝行らしいことをしてやることが出来ませんでしたが、こうした会話が最後にできて本当に良かったです。
旅立つ一週間くらい前だったと思います。寝ているときに夢でも見ていたのでしょうか、病室で仕事をしていると突然、
「ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい」
と両手をあげました。
「それじゃ、みんな集まって。おにぎり食べるよ」と。
その後、いっしょに登っていた人たちと話していたのでしょうか。
「別々のルートを行くのはダメ。絶対に一緒に行くよ」と。
夢の中まで山を歩いてました。
本当に山が大好きな母でした。
2016年7月に「被災した東北の高校生の富士登山プロジェクト」で、富士山の元祖七合目(3010m)まで登って、
頂上に向かう高校生たちを励まし・見送ったのが、母の長い長い登山人生の最後の登山となりました。
「山は順位を決めることがない。運動神経がないお母さんにとって、初めて行った山は凄く刺激的で楽しかった。」
と話してくれました。
旅立つ前日、どうしても日程変更できない仕事があり福島へ向かいました。
朝一、病院に寄って顔を見て「福島に行ってくるね」と。
手を強く握りながら、コクっとうなずいてくれました。
ロッジで仮眠をとり、翌朝早朝にロッジを出発して、病院に到着したのが9:40。母が旅立ったのが10:00。
母は私が来るのを待っててくれました。
旅立つ瞬間に立ち会えたこと、本当によかったです。
肉体としては、この世からいなくなったけれど、私の心の中にはずっと母は生き続けてます。
生前、母が3つのことをお願いしてきました。
約束を果たします。
・山や自然の楽しさ・素晴らしさを多くの人に知ってもらうようにします。
・東北の高校生の富士登山、目標の1000人までやりきります。
・父と姉を守り大切にします。
母が田部井淳子として歩んできた軌跡をたくさんの人に知ってもらいたいと思います。
40年以上前にヒマラヤに挑戦した女たちがいたことを。
たくさんの方々から、ご心配やお気遣いのメールやメッセージを頂き、ありがとうございました。
今後も変わらず、お付き合い頂ければと思います。
最後に、母さん、ありがとう。
2016年10月22日 田部井進也

投稿日:2016-10-20 Thu
奥多摩も少しづつ紅葉してきた♪
投稿日:2016-10-19 Wed
食パンの正式名称が「主食用パン」だったとは知らなかった。ついでに、ボールペンは「ボールポイントペン」
経済は「経世済民(けいせいさいみん)」、演歌は「演説歌」
教科書は「教科用図書」。
でも、略称が一般的になれば、それが正式名称で良いと思う。

投稿日:2016-10-18 Tue
またまたカローラ50周年のネタ。トヨタのディーラーに行ったら、こんなポッキーがもらえた。
ポッキーも1966年(昭和41年)の発売なので、カローラと同じく
50周年。そんな理由でコラボしたらしい。

投稿日:2016-10-17 Mon
トヨタのカローラが発売50周年を迎えたとニュースがあった。俺が最初に乗った車はカローラで写真を見ると2代目のようだ。
大学1年生の時にアルバイトをして中古のオンボロカローラを
手にした。当時はエアコンはもとより、パワステさえもなく、
重たいクラッチを押していた。AMラジオのみ付いていたが
エンブレムには「Deluxe」の文字(汗)
色は"サファリグリーン"だが、友人たちは「うんこ色」と
呼んでいた。
ポンコツであったが、まさに愛車だった。色々な場所に出掛けた
ものだ。6年くらい乗ったかなぁ。
さて、助手席に乗った彼女は何人いたでしょうか。。。

投稿日:2016-10-16 Sun
最近のマイブーム、燻製作り。まずは入門編の食材から(チーズを入れ忘れた)。手前味噌だが、自家製の燻製はワインと合う。
意外と奥も深そうで、少しづつチャレンジしていこうかと思う。


投稿日:2016-10-13 Thu
房総半島最南端の野島崎灯台。「日本の灯台50選」に選ばれており、国の登録有形文化財に登録されているそうだ。
周辺は、南房総国定公園になっていて、雄大な太平洋のパノラマ
が展開。さらには朝日と夕日が見れる絶景ポイントだ。
1870年1月に初点灯、観音埼灯台に続いて、日本の洋式灯台では2番目
に古いそうだ。
この辺りは観光スポットになっていて民宿や食堂もたくさんある。
ランチは「なめろう定食」を注文、新鮮で美味かった。

投稿日:2016-10-12 Wed
千葉県 鋸山(標高329.4m)、正式名称は乾坤山(けんこんざん)。山から海を見下ろせるのは千葉ならではのこと。
天気も良く、風が心地よかった。低山であるがハイヒールでは登れ
ない山だ。
鋸山の岩は建築資材として適しており房州石と呼ばれているそうだ。
石切場跡は現在も残存。
露出した山肌の岩が鋸の歯のように見えることから鋸山と呼ばれる
ようになったとのこと。
採取された石材は、東京湾要塞の資材や靖国神社や早稲田大学の
構内にも利用されている。1982年を最後に採石を終了。

投稿日:2016-10-11 Tue
まんまやな。でもこういうの好き♪
投稿日:2016-10-09 Sun
DDTをご存知でない方のために説明するなら、要するに殺虫剤のことだ。味の素が殺虫剤を販売していたとは、衝撃的!
昭和24年頃のポスターだそうだ。

投稿日:2016-10-05 Wed
山仲間から小説『春を背負って』を薦められて読んでみた。サブタイトル「奥秩父には人生の避難小屋があるんだ」は言い得て妙。一般的に山岳小説
というと、ハラハラドキドキの手に汗握るクライミング描写を売りにした
ものが多い中、この小説は山小屋の日常をテーマにした癒し系物語だ。
しかも、舞台はヒマラヤやアルプスではなく、奥秩父というのも身近で良い。
晴耕雨読。山に行けない日は、こういった心を慰める山岳小説を読んで
過ごすのも悪くない。

投稿日:2016-10-03 Mon
ブラタモリ、モヤモヤさまぁ~ず、じゅん散歩などなど散歩番組は色々とあるが、怪獣が街ぶらするのはウルトラ怪獣散歩くらい
だろう。2015年5月22日よりフジテレビONEで放送されていて、
サブタイトルには「空想特撮散歩シリーズ」と銘打たれている。
毎回、MCにメフィラス星人が登場し、2体のゲスト怪獣が登場する。
柴又帝釈天でポーズを決めるウルトラ怪獣、ええじゃん。(笑)
このくだらなさが意外と好評らしく、いつの間にか火がついて
DVDも発売された。

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