投稿日:2016-06-06 Mon
以前、「はすぴー倶楽部」で“今の20歳台の若者が聞いたら、驚くような昭和ネタ“を募ったところ、たくさんの投稿をいただいたので紹介しよう。
(投稿者の大半は昭和30~40年代生まれ)
・コタツは練炭の掘りごたつだった。祖母はこたつで納豆を作っていた。
・醤油やソースは家から空きびんを持って買いに行った。
・郵便局のカウンターは客側と局員側がガラスで仕切られていた
・リンスは洗面器でお湯に溶いて薄めて使うものだった。
・運動会は裸足で走るので、前日、生徒全員で校庭の小石を拾ったものだ。
・学校の近くで前にピンクやブルーのひよこを売っている怪しいおじさんがいた。
・ 道の端にはドブがあり木製のふたが所々あいていて、よくはまった。
・夜間消毒といってなにやら車で町中に消毒液か粉を吹きかけてた。
・ 家の窓ガラスの鍵はねじ式だった。 アルミサッシはなかった。
・ 穴の空いてない50円玉は磁石にくっつく。
・ 女性の下着(スリップ)のことを「シミュズ」と言っていた。
・ 地下鉄銀座線は、駅に着く直前に電気が一瞬消えた。
・ トイレは和式でくみとりだった。スリッパをよく落として怒られた。
・ハムカツは5円、コロッケは10円でソースをかけてもらえ、新聞紙に包んでくれた。
・パチンコは1つづつ親指ではじいた。
・「パソコン」と言わずに「マイコン」と言った。「マウス」はなかった。
・フロッピーディスクは「8インチ」、約20㎝もあった。
・フロッピードライブは20万円くらいした。
・マイコンは8色で英数字とカタカナしか使えなかった。
・漢字ROMというものを3万円ほど出して買わないと半角カタカナしか
表示できなかった。
・プログラムは「カセットテープ」に記録した。
・ソフトウエアは、「カセットテープ」で売られていた。
・コンピューターの紙テープ媒体に色をつけたものを駄菓子屋で5円で売っていた。

スポンサーサイト
△ PAGE UP