投稿日:2015-09-25 Fri
今ならビスケットや甘納豆が食べたくなれば、スーパーやコンビニなどで、それらを1袋づつ買ってくるが、昭和40年代にはお菓子屋
さんに行って、食べたいお菓子をグラム単位で買うのが普通であった。
店内はガラスケースが20種類くらいあり、かりんとう10g××円、
ベビーカステラ10g××円、こんぺいとう10g××円という具合
にケース毎にラベルが貼ってあり、お客は「これを30g、これを50g
づつ下さい」と注文する。店の人は言われたお菓子を小さなシャベル
のようなものですくい、紙袋に入れて秤(計量器)で測定する。
経験からおおよその目測でわかるらしく秤の目盛りはいつも一回で
ピッタリであった。子どもだからと言って決してごまかすようなこと
はなかったし、多少オーバーした時には「ちょっとオマケね」と
サービスしてくれた。また買い物のお手伝いだとわかると(商品性の
ない)割れたせんべいなどを貰えたり、お菓子屋さんへの買い物は
嬉しいお使いであった。

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投稿日:2015-09-24 Thu
ティッシュペーパーがなかった。ティッシュペーパーは昭和39年(1964)にアメリカから渡来した商品(クリネックスティシュー)なので
ものごころがつく頃には存在していたはずだが、高級品だったため、
庶民に普及するようになったのは、もっと後になってからのようだ。
今では当たり前だが「ポップアップ式」といって次から次へと紙が
出てくることすら珍しかった。ティッシュペーパーが日常品となる
までは「ちり紙」を持ち歩いていた。「ちり紙」というのは、ゴワ
ゴワした目の粗い質の悪い紙で、別名を「はな紙」「便所紙」とも
呼ばれていたものだ。したがってティッシュペーパーが上陸した頃
は「高級西洋ちり紙」と呼ぶ人もいた。

投稿日:2015-09-23 Wed
俺が中学生になるまで日本ではハンバーガーやカップラーメンは存在してなかった。当時、TVマンガ「ポパイ」の中で
ウィンピーが「来週の火曜日には絶対に返すからハンバー
ガーをおごってくれよ」というセリフがあり「うーむ、アメ
リカにはハンバーガーというかなり美味そうな食べ物がある
らしい」といつも思っていた。
そして日本マクドナルドがオープンした昭和46年(1971)に
初めてハンバーガーというものを食べたのだが、実に美味い
と思った。そしてポテトフライ、マックシェークといった
今まで口にしたことのないものに世の中にこんなに美味い
ものがあるのかぁ~と感激したものだ。
同様にカップラーメンが世の中に登場したのも、同じ昭和
46年だ。テレビ番組「ヤングOh!Oh!」の中でスポンサーで
ある「カップヌードル(日清食品)」を盛んに宣伝していた。
銀座の歩行者天国でこれを食べ歩きするのがオシャレだと
言われていた頃だ。

投稿日:2015-09-22 Tue
ヘアリンスがなかった。ヘアリンスが登場したのは、昭和40年(1965)だそうだ。リンスというのは英語で「すすぐ」
という意味を知ったのは大人になってからだ。
思い出してみると俺がリンスを使うようになったのは中学生
になってからで、それまではシャンプーだけだったし、
さらにもっと幼い頃は石鹸で髪の毛をゴシゴシと洗っていた。
今、白髪が多いのは、この石鹸ゴシゴシの後遺症かも知れ
ない(笑)あの頃、母親は粉のシャンプーを使っていたが、
いつの間にか容器に入った液体シャンプーを使うようにな
った。この容器に水中モーターをつけて遊んだことも懐か
しい思い出だ。

投稿日:2015-09-20 Sun
NHK-FMの放送開始は昭和44年(1969)3月だそうだ。俺がラジオでFM放送を聞くようになったのは、中学生の頃で、
NHKの他には「FM東京」しかなかった。
AM放送に比べて音質が良く音楽中心のFMを聞くことは少し
大人になった気分だった。
当時「FMファン」「FMレコパル」という音楽雑誌があり、
録音したい番組をチェックしていた。これを”エアチェック”
と言う。ちなみにJ-WAVEの放送開始は1988年というから、
ある意味 最近と言える。
録音は今ではボタンを押せば済むことだが、当時はラジオや
レコードプレイヤーに直接、マイクを向けて録音するのだ。
音楽を録音していても、周囲の音まで一緒に入ってしまい、
こういう時に決まって「おーい、ごはんですよぉ」なんて叫ば
れてしまう。だから録音する際には家族の全員に「今から俺は
レコードを録音するので、静かにしてよね」と宣言してから
行うようにしていた。

投稿日:2015-09-18 Fri
俺が小学校の時、修学旅行に行く際、学校からの注意事項に「Gパンをはいてきてはいけない」というのがあった。
Gパンは最近ではあまり使わない言葉だが、ジーンズあるいは
デニムのことであり、当時Gパンをはくのは不良だと言われて
いた。理由はいまだにわからない。
(Why Japanese People? By厚切りジェイソン)
高校生の頃にはGパンは普段着になっていた。この頃、ベル
ボトム(別名ラッパあるいはパンタロン)という裾の広がった
Gパンにロンドンブーツという踵の高い厚底靴を履くのが
流行ったが、振り返るにかなりダサイ。
中学生の頃、ラコステ、クロッコダイル、アーノルドパーマ
ーなどのトレードマークの入った靴下をはくだけでも不良扱い
だったし、エレキギターを弾くだけで不良のレッテルが貼られた。
ゲームセンターに入ることも、髪の毛が耳にかぶるだけで不良、
学校に時計を持って行くだけで不良扱いだった。

投稿日:2015-09-16 Wed
昭和40年前後だと記憶するが、セスナ機から広告のビラをまいていたことがある。
友達と缶ケリをしていた時に、軽飛行機が低く飛んできて
何やら白いものを撒いている。まるで雪でも降ってきたか
のようだった。それらがフワフワと頭上に落ちてきたのは
紙切れでいわゆる「ビラ」というやつだった。
友人の一人がそれを拾い集めだしたのを皮切りに缶ケリを
やめて全員でビラを拾い集めることに熱中した。
現在の子どもたちがトレードカードを集めるような感覚だっ
たのだと思う。テレビの普及率があまり高くない時代だった
ので、このような宣伝の仕方もあったのだろう。
チンドン屋さんやアドバルーンを見かけたのもこの頃だ。
ゴミを撒き散らしているような気もするが、当時は法律上
問題はなかったのか疑問が残る。

投稿日:2015-09-11 Fri
京都に旅行。ベタであるが、お約束の清水寺を訪ねてみた。よく思い切って大きな決断をすることのたとえに「清水寺の
舞台から飛び降りたつもりで・・・をする」というが実際に
舞台から飛び降りた人は234人もいるそうだ。そして生存率
は意外と高く85%とのこと。昔は舞台の下に木が生えていて、
地面も柔らかだったからとのこと。今は木もなく地面は硬い
ので間違いなく死んでしまうらしい。良い子の皆さんは絶対
に真似をしないように。

投稿日:2015-09-08 Tue
都内だと荷物を運ぶのにこれはエコで便利そうだ。
投稿日:2015-09-06 Sun
キティちゃんはご当地キティを始め、色々なものとコラボしていて、いささか節操がないと思っていたが、このたびはなんと
あのドラえもんとのコラボだ。
世界的にも知名度の高い二人がコラボしてイベントやグッズを
販売するという。このあとは間違いなくグローバル展開も視野
に入れているだろう。今後の成り行きが気になる。。。

投稿日:2015-09-05 Sat
録画しておいた「STAND BY ME ドラえもん」を見た。不覚にも泣いた。△ PAGE UP