投稿日:2006-02-14 Tue
バレンタインデーである。日本で初めて2月14日のバレンタインデーのためにチョコレート
が販売されたのは昭和33年でオイラが生まれた年だ。
高級チョコレートを作るメリーチョコレートカムパニーの創業者
原賢太郎氏の次男である原邦生氏が、父の会社でアルバイトをし
ていた学生時代に、売上が下がってしまう2月の売上に貢献しよ
うと、バレンタインフェアを父に提案したのがそのきっかけだと
言われている。
その年はチョコレートが3個にカードが1枚、合計170円の売上
しかないという惨敗に終わった。
しかし諦めずに次の年もその翌年もバレンタインフェアを続け、
やがてバレンタインデーにチョコレートを送るという習慣は日本
中に浸透することになり、今ではメリーはフェア期間中には60億円
もの売上を突破するほどになった。年商176億円の会社だから
約1/3がこの期間で稼いでいることになる。
昭和33年にはじめたとあるが、オイラが小学生の頃にはバレンタ
インデーは馴染みがなかった。これはオイラがもてなかったわけ
ではなく、そういう風習はまだ庶民の間では普及していなかった
と思う。そして昭和40年代半ば、中学生になって初めてチョコを
由紀子ちゃんからもらった。
「義理チョコ」なんてものはなく、それぞれが本命チョコだった
時代だな。「義理チョコ」は恐らく昭和50年代の後半くらいから
一般的になってきたのではないだろうか。
今日は突発の仕事が増えて残業モードではあるが、こんな日に
帰宅が遅いと恐妻から浮気をしているのではないかとあらぬ疑い
をかけられそうなので、仕事を適当に切り上げて帰宅する自分が
情けないほど小市民だと思う。
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